第3期北海道総合開発計画」が閣議決定され、新港の建設及び背後地域の開発が決定
石狩湾新港地域開発計画委員会設置、石狩開発㈱設立、トーモクグループも開発計画に参画。
石狩湾新港開発を機に新港起業社の従業員向け広域住宅用地の取得。
石狩湾新港港湾区域及び石狩湾新港港湾計画の運輸大臣認可され、石狩新港開発が重要港湾に指定される。㈱石狩開発㈱が第3セクターとして組織変更。
石狩湾、そして札幌手稲連山と暑寒別岳山系を望む当別の丘にスウェーデンヒルズの街づくり構想の一体化計画として「グリーンヒルカントリークラブ」造成スタート。
まさにスウェーデンヒルズゴルフ倶楽部の歴史がスタートした。
コース設計には、当時コース設計の第一人者であった農学博士 丸毛信勝氏、
コース監修には、プロゴルファー「ビッグ・スギ」でお馴染みの杉本英世氏によって手掛けられ、造成が進められた。
丸毛信勝氏 |
杉本英世氏 ※外部サイトへリンクします |
不況下にも第二次ゴルフブーム到来。1975年7月のオープン(西・中18H)に向け工事完了。
グランドオープン 開場記念式典に高松宮殿下がご来場され、テープカット、記念始球式にご臨席賜りました。
第1次オイルショックの不況下にも、グリーンヒルカントリークラブは好業績にて、東コースをオープン、27ホール営業開始。宅地開発の一貫として「北欧視察」
宅地開発として、スウェーデン村(現スウェーデンヒルズ)建設構想を発起
スウェーデンヒルズ、スウェーデン交流センター建設構想発表
スウェーデンヒルズ基本計画発表、ゴルフ場正門横に実験棟2棟完成(住宅性能テスト開始)
スウェーデンヒルズ開発行為許可、着工
所属プロ 故上原宏一プロが嵐山カントリークラブにおいて「日本オープン」優勝を飾る。
PGA後援 北海道ゴルフ連盟主催「北海道オープンゴルフ選手権競技」を当俱楽部にて開催。所属プロ故上原宏一プロ第2位、以降、翌年より同大会8回優勝を飾る。
開場20周年事業において、東コース(9H)大改修及び井戸ポンプ及び貯水池新設。
開場35周年事業において、新俱楽部ハウスを建て替え、コースも大改修。ワンオーナーで在りながら、俱楽部名を改称。歴史と伝統を次世代へ継承。
グリーンヒルカントリークラブからスウェーデンヒルズゴルフ俱楽部へ。新たな歴史がスタート。
旅館業取得。ゴルフ場内に宿泊施設「ヴィラレクサンド」3棟をスウェーデンハウスにて建築、同年7月より開業。国内唯一のスウェディッシュ・ゴルフリゾートに向け、理想の俱楽部像の実現へ。
スターティングテラス「HOTRELAX(憩いの庭)」、スターティング・ウェルカムボード新設。多様化するゴルファーニーズに応えながら更なるブランドアップに挑戦。
池改修工事(中№7)・クリーク改修工事(中№9)
ティーイングエリア植樹工事6ホール(西№2フユボダイジュ・西№5ヤマモミジ・中№4エゾヤマザクラ・№7フユボダイジュ・東№5フユボダイジュ・東№9コブシ)、レディースティ新設工事6ホール(中№1・中№6・東№1・東№3・東№7・東№9)、レギュラーティ及びレディースティマークの新設、パーゴラ新設工事3ホール(西№5・中№6・東№3)、正面ゲートリニューアル工事、国旗・社旗掲揚ポール新設工事、ヴィラレクサンド前庭リニューアル工事完了